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特集

日本一と呼ばれる米

美味しく育つ条件

なぜ南魚沼産コシヒカリは日本一と呼ばれているのでしょうか。それを探る前にまずは美味しいお米に育つ条件をお伝えします。重要な要素は、気候・日照・土・水です。穂が出始める8月中旬から収穫を迎える9月中旬、この1ヶ月間に朝晩の寒暖差が大きいこと、晴天で日照時間が長いこと、水捌けの良い土、ミネラル豊富な水が使えることになります。

稲は熱帯の植物で高温を好みますが、気温が高すぎると美味しいお米に育ちません。日中の気温が35℃以上になると光合成ができず、お米の旨味であるデンプンを作れなくなります。真夏など夜も気温が下がらない日が続くと、稲が本来蓄えるべきデンプンを使い切ってしまい、粘りが弱く、旨味の少ないお米になってしまうのです。そのため、日照時間と昼夜の寒暖差が大きいこと、この2つが非常に重要です。稲が昼間、光合成よって作ったデンプンは、夜間の気温が低いほど、代謝が抑えられて蓄えられます。盆地や山間部に美味しいお米の産地が多いのも寒暖差が大きいからだと言われています。

水はけが良い土であることも大切です。田は水が溜まっているのではなく、用水路を流れる川の水で潤っています。新鮮な水が流れ込み、土へと浸透していくのと同時に常に新しい酸素が供給されることで、健康な稲に育ちます。水はけが悪い土だと古い水が残り、稲の発育が悪くなります。水はけの良い土で、水を豊富に使って栽培することが良質なお米を育てるために大切なのです。また、美味しいお米にはミネラルも重要とされています。雪解け水が山々に浸透し、ふたたび湧き出る事で山々のミネラルを豊富に含んだ水となります。そういった水に恵まれた地域に美味しい米どころが多く存在しています。

雪解け水と痩せた土地

米どころ新潟県魚沼地方の中でも特に美味しいとされる南魚沼地域は、西を1000メートル級の魚沼丘陵、東を2000メートル級の越後山脈と、山に囲まれた盆地地形である事から、昼と夜の気温差が非常に大きく、美味しいお米に育つための条件の整った地形です。

南魚沼の土壌は市内を流れる魚野川や登川などの河川によって運搬された比較的新しい土で形成されていて、他の地域の水田に比べ稲に必要な窒素供給力が小さく、やや痩せた土地です。一般的に栄養素豊富な土壌が良いと思われがちですが、稲が大きく育ち、倒れやすいコシヒカリにとって、痩せた土地は生育過剰を抑制してくれる良さがあります。

また、南魚沼は日本有数の豪雪地帯であり、八海山や巻機山をはじめとした周囲の山々の雪解け水が豊富です。加えて、市内には八海醸造、青木酒造、高千代酒造と3つの酒蔵があります。米作り同様に酒造りにも水が重要とされ、それぞれが世界的に高評価されている事からも南魚沼の雪解け水が上質であることが分かります。その水が田んぼを潤し、美味しいお米に育つ栄養を与えているのです。

そして南魚沼の中でも、特に美味しいお米が作られると伝えられているのが、旧塩沢地区です。旧塩沢産コシヒカリは日本で流通するお米の0.1%とも言われ、希少なお米です。南魚沼市を拠点とするソイルワークスでは、旧塩沢町の農家から直接お米を仕入れお届けしていきます。

伝統を紡ぐ生産者達

お米の美味しさを決定付けるのは、自然環境だけでありません。条件の整った土地は全国にいくつもありますし、南魚沼より米作りに適した土地もあるかもしれません。その中でも「南魚沼のお米は美味しい」と言える大きな理由は生産者の米作りに対する想いと、受け継がれる米作りの伝統です。

昔の南魚沼は日本で最も貧しい農村地域の一つでした。田んぼには石がゴロゴロあり、痩せた田んぼが非常に多かったと言われています。冷たい雪解け水が流れる春先の田植えは大変な作業だったと語り継がれています。当時は、稲の品種もコシヒカリとは違うもので、収穫量が少なく味も悪い、“雀が跨いで通るほどまずいお米”と呼ばれていました。そんな貧しい南魚沼でしたが、苦しい環境から抜け出し「豊かになりたい」という強い想いで、旧塩沢町の若手農家と新潟県の農業試験場が手を取り合い、魚沼の風土に合ったお米の研究を続けた末に、「コシヒカリ」という品種を産み出したのです。その血が滲むような努力の積み重ねこそが、南魚沼産コシヒカリが日本一美味しいと呼ばれるまでに成長したきっかけです。

そういった米作りの歴史があるからこそ、この地の農家は米作りに情熱を持って日々の土づくりや栽培技術の向上に努めています。お米の美味しさは自然環境に左右されますが、結局は人の手で植えられ、人の手で収穫され、人の手で消費者まで届きます。「環境が人を育てる」とよく言いますが、南魚沼の風土が生産者達の誇りと情熱を育むことで、お米が美味しく育つという循環が生まれているのです。