南⿂沼塩沢産コシヒカリとは
⼀⼝に⿂沼産コシヒカリと⾔っても、その産地は広く、
5市2町が“⿂沼産”と表記することができます。
広い⿂沼地域の中でも、最⾼峰と評されるのが
南⿂沼市塩沢地区で作られるコシヒカリ。
然然では純度100%の
塩沢産コシヒカリをお届けいたします。
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コシヒカリ誕⽣秘話
南⿂沼市塩沢地区はコシヒカリ発祥の地
とも呼ばれています。
それは昔の塩沢地区の⽶農家が背が⾼く倒れやすい
というコシヒカリの弱点を克服する栽培技術の
開発に⼤きく貢献したことが関係しています。
この貢献がなければコシヒカリは
この世に存在しなかったかもしれません。
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然然の由来
然然(しかじか)というブランド名には
⼆つの思いが込められています。
⼀つは「⿂沼産ブランドの誇り」、
⼆つ⽬は「今まで省略されてきた物語」です。
「しかじか」にしても伝わるブランド⼒と、
そこに⾄るまでの「しかじか」にされてきた物語。
その⼆つが合わさった
「⽇本⼀、伝える⽶」を体現しています。
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⽂化と⾵⼟がつくり出す、
⾷味ランキング“特A”地区
南⿂沼市塩沢地区は⽇本有数の豪雪地帯であり、日本百名山の一つでもある巻機⼭をはじめとした、周囲の⼭々の雪解け⽔が豊富です。美味しいお⽶にはミネラルが重要とされており、雪解け⽔が⼭々に浸透し、ふたたび湧き出る事で、⼭々のミネラルを豊富に含んだ⽔となります。
ミネラル豊富な
雪解け⽔
周囲を⼭に
囲まれた盆地地形
南⿂沼市塩沢地区は⻄を1,000m級の⿂沼丘陵、東を2,000m級の越後⼭脈と、⼭に囲まれた盆地地形のため昼夜の気温差が⾮常に⼤きいです。稲が⽇中の光合成で作るデンプンはお米の美味さを左右する重要な成分で、夜間の気温が低いほど、稲の代謝が抑えられて蓄えられます。そのため、粘り、⾹り、ツヤ、⽢みのすべてが揃った極上のお⽶に育ちます。
南⿂沼市塩沢地区の⼟壌は市内を流れる⿂野川や登川などの河川によって運搬された⽐較的新しい⼟で形成された砂質の土壌です。⼀般的に栄養素豊富な⼟壌が良いと思われがちですが、稲が⼤きく育ち、倒れやすいコシヒカリにとっては⽣育のコントロールがしやすい最適な土壌で、品質の向上につながっています。
コシヒカリに
最適な⼟質
コシヒカリ発祥の
地の誇り
昔の塩沢地区は⽇本で最も貧しい農村地域の⼀つでした。苦しい環境から抜け出し「豊かになりたい」という強い想いが、コシヒカリという品種を⽣み出し、その名を全国区にするきっかけとなりました。そういった歴史があるからこそ、塩沢地区の⽶農家は⽶づくりに情熱を持って、⽇々の⼟づくりや栽培技術の向上に努めています。
塩沢地区産のコシヒカリは⽇本で流通するお⽶の0.1%とも⾔われる希少なお⽶です。⽇本のお⽶の年間総⽣産量は約860万トンで、その内の塩沢産コシヒカリは約1万トン。実際には、自家用や親戚等に配られたりする分も多く、市場にでまわる塩沢米の量はさらに減るため、国内の生産量に占める塩沢産米の比率は約0.1%とも言われています。然然では、この0.1%にこだわり、粘り、香り、ツヤ、甘みのすべてが揃った極上のお米をお届けいたします。
⽇本でとれる
お⽶の0.1%
⽊枯が吹けば⾊なき、越の国、
せめて光れや稲、“コシヒカリ”
昔の新潟県⿂沼地域は⽇本で最も貧しい農村地域の⼀つだった。⽥畑は貧しく、育つ穀物が少なかった。夏から秋にかけても満⾜いく収穫がないため景⾊に⾊彩が無かった。そんな痩せた地域の⽥んぼでも、沢⼭収穫できるお⽶を開発するなかでコシヒカリは⽣まれた。
昭和22年、“お⽶の神様”とも呼ばれた杉⾕⽂之が新潟県⻑岡農業試験場に赴任し、貧しい新潟の⼟地でも⼗分に育つお⽶の開発が進められた。研究を繰り返しても納得のいく結果に辿り着けない⽇々が続いたが、福井県の農業試験場から届いた種⼦が事態を動かした。福井県から送られてきたその種⼦こそが、後にコシヒカリと命名される品種、越南17号である。
このお⽶に相応しい名前はないのかと、研究員の国武によってコシヒカリと名付けられた。その時の彼が作った短歌が⼼境を語っている。「⽊枯が吹けば⾊なき、越の国、せめて光れや稲、“コシヒカリ”」その後、稲を倒さずに育てる努⼒が⾏われたが、戦時下の影響もあり県知事の命令により研究は⼀時頓挫する。しかし、昭和30年、東京オリンピック直前の⽇本。東京の⽶屋の間で「新潟の⽶は不味い」との不評が広まっていた汚名を晴らすべく、研究が再び動き出す。再開まで10年近い歳⽉が経ったが、その期間も⼩林は試⾏を繰り返しており、コシヒカリを倒さずに栽培するコツを完全に得ていた。それは葉の⾊を基準とした肥料散布のタイミング。
その知⾒を借り、農業試験場は誰でも簡単に⾒分ける⽅法を確⽴すべく、東京のフィルム制作会社協⼒の元、肥料を巻く時期を判別できる⾊⾒本キットを完成させ、ついにコシヒカリの安定供給を実現させることとなった。昭和44年に政府を通さず、農家⾃⾝がお⽶の販売先を決められる⾃主流通⽶制度が成⽴し、ついに量より質の時代がきた。当時の国内はササニシキが圧倒的シェアを誇っており、打倒ササニシキを掲げた⿂沼産コシヒカリも満を持して、新宿の百貨店に展開した。発売当初は⾊物扱いされていたが、実際に⾷べた消費者の⼝コミから「本当に美味しい⽶だ」という評判が広まり、ついには全国にその名が轟くこととなった。
然然 (しかじか) 云云 (うんぬん)
繰り返して言ったり、詳しく言ったりする必要のないとき、その代わりに用いる語。
かくかく。これこれ。うんぬん。かくかくしかじか。
例:「―の理由によると明記せよ」「実はーの事情でして」
あえて説明するまでもないようなことを省略する時に使われる語で、
単体での意味は特に無い言葉ですが、
その所作や使い所に着目して、2つの思いを込めました。
“あえて説明するまでもなく”「南魚沼産コシヒカリが美味しいお米って知れ渡ってるよね。」という強気な姿勢と、それだけ名の知れたお米という誇りを表しています。
魚沼という地の誇り
今まで省略されてきた物語
生産地の風土や気候、作り手の思い、その地に根付く歴史など、今まで消費者が知ることの出来なかった美味しさの理由と言った、省略されてきたコトたち。あえて言うならば、「“然然”にされてきたストーリー」を掘り起こし伝えていく姿勢を表現しています。