特集
この街の釣り師と川マップ
南魚沼には魚野川や登川に代表されるように綺麗な川がたくさん流れている。
この街と言えば「雪や米、山」が魅力と言われることが多いけど、実は全国屈指のトラウトフィッシングのメッカ。
この街を愛し、魚を愛する人達に釣りと川のことについて聞いてみた。
illustration:mandokolo
上段:左から、勝又健さん、舟沢京介さん、高橋名人さん / 下段:左から恩田直人さん、古藤勇人さん、鈴木誠礼さん、須藤隆太さん
Question:①年齢 / ②釣り歴 / ③最近の南魚沼の川について思うこと / ④トラウトフィッシングの魅力とは / ⑤好きな川とその理由 / ⑥魚野川の魅力
船沢京介 / ロッヂ経営兼プロアングラー
①59歳 ②35年以上 ③大きな水害が重なり、仕方がないことですが、河川改修工事が多くなっています。河畔林がなくなることで砂が流れてしまい、一部に溜まることで魚が住みづらい地形が一部あります。魚と人間が共存できるよう、この町に綺麗な川を未来に残したいと思っています。 ④コンタクトが合った時の手応え。仕事として、大きな魚を釣ることを求められます。魚野川は魚影が少なくなったとはいえ、それでも大きな魚や美しい魚が釣れるとホッとします。 ⑤よく行く川は魚野川ですが、好きな川は登川の上流部です。人工物が全くない場所にすぐに行けるはこの地域ならではの魅力ですね。 ⑥やはり美しい魚がいること。魚野川漁協は成魚ではなく稚魚や卵の状態から放流しているため、よりネイティブに近い状態の魚がいます。釣れないのが当たり前のトラウトフィッシングなので、釣れた時の喜びもひとしおです。
勝又健 / 会社員
①39歳 ②20年 ③魚野川はとくに工事が入り過ぎていますね。水害や工事の影響で川が平らになっているので、魚が住みづらい川になっているような気がしています。 ④自分の住む地域の事をもっと深く知りたいと思って釣りをしているので、どんな魚がいるのか、釣るために沢を登り詰めたり、地形を見ながら山を歩くのが楽しいですね。 ⑤三国川の上流部。 ⑥魚野川は日本一長い信濃川につながる大きな川です。その分ポテンシャルも高いですね。また、地域に根付き、人々に四季を感じさせてくれる川でもあります。春になると雪代イワナが出たり、夏はイワナ、ヤマメ、鮎をはじめとした魚が釣れて、冬は雪が積もって美しい、時期によって違う顔を持っています。
高橋名人 / 会社員
①31歳 ②6年 ③近年の水害で川の氾濫、決壊などあり川が開発されていくのは仕方がないことなのかもしれませんが、この街の川から遊び場や魚が消えていくんじゃないかと不安に思うことがあります。 ④川に入り竿を振っているときは世界が自分や仲間そして川だけとなり、何もかも忘れられるところです。早朝、渓(けい)に日が差し出した時の景色は格別でなんとも言えません。 ⑤五十沢のとある川、山奥の川。 ⑥いつも行くたびにビッグドリームを思い描いては心をへし折られ帰ってくる、桜鱒や大岩魚その他にも沢山の魚や生き物が生息する憩いの場。
鈴木誠礼 / 会社員
①35歳 ②25年くらい。トラウト3年 ③災害や大雨の影響でかなり川の流れも変わり、魚のつき場も少なくなった印象ですが、今でも他の川にはないポテンシャルを持っています。魚野川水系はかなり難しい川なので簡単ではないですね。近年は関東圏から比較的近いこともあり、どこの支流も釣り人が増えてきました。マナーを守って釣ってもらいたいですね。 ④「自然」にとても近い遊びなので普段の生活にはない体験ができます。リールなどの道具も美しく、大人には持ってこい、な遊びではないでしょうか。 ⑤特にはありませんが、なるべく人工物がなく、道路などが隣接していない川が好きです。 ⑥流れも強く、魚影も濃くはありませんが、大物を釣るというロマンと夢を見られる素晴らしい川。
古藤勇人 / 会社員
①32歳 ②7年 ③平成23年に発生した新潟・福島豪雨による河原の損壊と河川改修工事によって魚野川は大きく変わりました。当時私は釣りをしていませんでしたが、諸先輩方に聞くと魚影がかなり薄くなったと聞きます。最近では魚やその他の生き物達も少しずつ戻ってきていると感じるので嬉しいですね。 ④釣りは魚に会える一つの手段だと思っているのでこだわりはないんです(笑) しかし、ルアー釣りの魅力はまずリール、ルアーがカッコいい!そして手軽に始められる! ⑤魚野川水系全般。一年ですべての川を制覇するのが夢ですが、時間が足りません(笑) ⑥野生の魚に出会えること。自然の中で生まれ、厳しい環境を生き抜いて来た魚は美しく、物凄いパワーと生命力で感動します。また、毎年発眼卵の放流を魚野川で行っていて、そのボランティア団体U’s+ futuresは県外の方々に多く参加頂いています。多くの人に愛される川というのも魚野川の魅力ですね。
恩田直人 / フィッシングチロル店長
①37歳 ②約30年 ③河川改修工事が各地で行われているため、魚の住みやすい環境ではなくなっている様に感じます。米どころ南魚沼の綺麗な水に住む魚たちにとっては、年々住みづらい環境になってきていると思います。 ④トラウトフィッシングと言っても、大きな湖から細い川までそれぞれのポイントで異なった楽しみ方ができること。長年楽しんでいても、なお新しい発見があること。 ⑤地元が糸魚川なので、糸魚川(笑)……いやいや、もちろん魚野川です! ⑥下流の広いエリアから上流の細いエリアまで、人それぞれの楽しみ方ができること。
須藤隆太 / 調査員
①34歳 ②20年 ③魚が本当に減ったと思う。自分が下手なのか時期なのか、昔はよく釣れた沢でも釣り人が通えば魚はいなくなるし、水害や自然の事もあるけど、自然と魚を大切にしないとですね。 ④本流やダムで大物を目指す楽しさもあれば、仲間と地図を見て計画して、装備を揃え、後悔するくらい歩いて、たまに野宿して、宴会して。釣りだけじゃない楽しさがあるし、ヤバい(デカい、綺麗、腹回りが太いなど)のが釣れたら仲間に自慢できる。 ⑤秘密の沢。険しいけど北斜面にあるパラダイス。行くなら自己責任で! ⑥雪代イワナは全国の釣り人の憧れだし、支流では川遊び、夜はキャンプしたり。みんなが楽しめる川ですね。
「南魚沼の河川MAP」 / illustration:shio
魚野川と南魚沼について
「南魚沼」に流れる「魚野川」。この街の固有名詞には魚の文字が二つも付いている。どうしてだろう?
この街に生まれた僕らにとって魚は、なにかとても大切なものなんじゃないか。そう思って調べてみた。
そして、あらためてこの街の財産である川について考えた。
「魚」が住む場所 魚野川、南魚沼
この街を南北に縦断する魚野川は長岡市まで流れて、日本一の長さを誇る信濃川に繋がります。冬に豊富に降る雪解け水を蓄えて、水量が豊富で、水の流れも速く、勢いよく流れるのがこの川の特徴です。古くから様々な手法を使った漁猟が行われ人々の生活の糧となっていました。明治時代までは六日町と塩沢の間に船が行き来し、荷物を運ぶ、物流としての機能も果たしていました。
魚野川という名前の由来は実は所説あり、主にイワナ、ヤマメなどのマス系やアユなどが豊富にいることから「魚の川」と呼ばれ「魚野川」と名付けられた、という説が有力です。魚沼や南魚沼の地名は遠い昔、魚が豊富な地域かつ、沼地形だったことから由来しているようです。今の湯沢町神立の付近の山が崩れて水が溜まり辺り一帯が沼地になったことか「魚沼」と呼ばれるようになった、と言い伝えられています。
地名に付くほど当時の人々にとって魚が生活とは切っても切れない縁だったということが伺えます。魚野川はイワナやヤマメが美しく、とくに大きいことから1990年代からトラウトフィッシングの穴場として徐々に注目を浴び始め、今では業界でも有名なエリアになりました。南魚沼には魚野川だけでなく、登川や水無川、宇田沢川や三国川など大きく水量に富んだ川がほかにもあり、一級河川と呼ばれるものは実に79もあるのです。一級河川とは人々の暮らしに欠かせない、国が管理している河川の事で、私たちの暮らしは多くの川に支えられていることが分かります。
さらに一級河川のほかに、暮らしには関与していない国が管理する二級河川もあり、山から川に流れ込む無名の沢も数多くあります。村の名前に「五十沢」「大沢」「樺野沢」「君沢」など沢が地名の由来となる場所も多いのです。改めてみるとこの街にとって、いかに川や沢、ひいては水が暮らしの根底にある大切な資源か分かります。
登川で川遊びに興じる人々。夏になると県内外から涼を求めて多くの人が訪れる。なかには魚を追いかける子供の姿も。
魚が少なくなり、変わる川の形
10数年前までは多くの川で魚影が濃かったと、過去の川を知る人は口をそろえて言います。雪解けのシーズンになるとたくさんの人が釣りに訪れるにも関わらず、竿を投げれば入れ食い状態というほど魚がたくさんいたようです。近年は平成23年の新潟・福島豪雨に代表されるようにゲリラ豪雨が増え、河川の氾濫による水害が増えました。
それに伴って、魚野川や登川では河川改修工事がいたるところで行われています。川岸にある森や雑木林を河畔林と呼びますが、これらは川が氾濫すると薙ぎ倒され、下流に被害を及ぼす厄介な物と認識されて来ました。河川改修工事では河畔林を伐採し、コンクリートで補強してしまいます。川の形が変わると水の流れも変わり、工事によってもたらされる砂が滞留すると魚が住めなくなります。
人々の暮らしにとって安全は欠かせないもので、ある程度の人の手を加えるのは仕方ないことだと思いますが、本当に必要な工事だけを行っているのか、そのやり方が正しいのか、工事数の多さに疑問が残ります。
早朝の登川。朝靄が残るなかでの釣行は幻想的でトラウトフィッシングの魅力の一つ。登川には一部河畔林が残っており、この資源を大切にしていきたい。
変えられないものと変えられるもの
この地域の人々にとって、川は雪と同じような財産で、魚は米と同じように暮らしに欠かせないものでした。だからこそ、魚の文字がこの街の由来にもなっています。川と魚は魚沼・南魚沼にとって、代えがたい本質的な魅力の一つだと言えます。もしこれらがなくなってしまえば、この街はほかの街と代わり映えのない、普遍的な街になるでしょう。
工事は一度施工すると二度と、元の自然本来の形には戻りません。だからこそ、計画的な管理が必要です。安全を犠牲にするわけではなく、持続可能で自然との共生を図る道を10年、20年、100年先の将来を見据えて、考えて暮らしていかなければなりません。
また、この町はたくさんの雪が降り、雪解け水となって沢を伝って川に流れます。農家はその川から水を引いて、田んぼに流して米を栽培しています。美味しい米を作るためにも美味しい水が欠かせません。そのためには綺麗な川が必要不可欠です。川がなくなれば、魚もいない、米も美味しくない魅力のない街になってしまうのです。
この街に個性がなければ、南魚沼である必要はないでしょう。この街がこの街であるために、南魚沼で暮らす次世代の人々が故郷に誇りを持ち続けられるように、自然と共生できる未来を作らなければいけません。
早朝の登川で綺麗なヤマメが釣れた。10年後も100年後もこの姿が見れるような街にしていきたい。
自分たちの街の文化は自分たちで守る
Soil Worksでは「南魚沼リバークリーン」というプロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトは地元住民が力を合わせて河川を綺麗にし、南魚沼の文化を守っていく、ローカルリーバークリーンプロジェクト。南魚沼の文化とも呼べる米や酒。春先の魚野川で釣れる雪代イワナや夏の鮎。これら全ての源である川を綺麗にすることで南魚沼の文化はさらに発展する。川が綺麗になれば南魚沼は、もっと楽しく、もっと美味しく、もっと豊かな街になる。そんな考え方をもとに、未来に南魚沼の文化を残していくための活動です。
2021年6月に開催した、大沢川でのクリーンアップの様子。大量のゴミが不法投棄されていた。この川の水で育った米を僕らは日本一の米と呼んでいいのだろうか…
NEXT CLEAN UP
日程:2021年11月7日(日)予定
時間:10:00-15:00予定(リバークリーンは10:00-11:30予定)
会場:登川河川公園(南魚沼市大木六)予定
担当:貝瀬
Mail:kaise@soilworks-jpn.com
クリーンアップ後も楽しめるコンテンツを企画中です。
参加希望者は上記メールアドレスまで「お名前」「人数」「電話番号」を記載の上、ご連絡ください。
なぜ南魚沼産コシヒカリは日本一と呼ばれているのでしょうか。それを探る前にまずは美味しいお米に育つ条件をお伝えします。重要な要素は、気候・日照・土・水です。穂が出始める8月中旬から収穫を迎える9月中旬、この1ヶ月間に朝晩の寒暖差が大きいこと、晴天で日照時間が長いこと、水捌けの良い土、ミネラル豊富な水が使えることになります。
稲は熱帯の植物で高温を好みますが、気温が高すぎると美味しいお米に育ちません。日中の気温が35℃以上になると光合成ができず、お米の旨味であるデンプンを作れなくなります。真夏など夜も気温が下がらない日が続くと、稲が本来蓄えるべきデンプンを使い切ってしまい、粘りが弱く、旨味の少ないお米になってしまうのです。そのため、日照時間と昼夜の寒暖差が大きいこと、この2つが非常に重要です。稲が昼間、光合成よって作ったデンプンは、夜間の気温が低いほど、代謝が抑えられて蓄えられます。盆地や山間部に美味しいお米の産地が多いのも寒暖差が大きいからだと言われています。
水はけが良い土であることも大切です。田は水が溜まっているのではなく、用水路を流れる川の水で潤っています。新鮮な水が流れ込み、土へと浸透していくのと同時に常に新しい酸素が供給されることで、健康な稲に育ちます。水はけが悪い土だと古い水が残り、稲の発育が悪くなります。水はけの良い土で、水を豊富に使って栽培することが良質なお米を育てるために大切なのです。また、美味しいお米にはミネラルも重要とされています。雪解け水が山々に浸透し、ふたたび湧き出る事で山々のミネラルを豊富に含んだ水となります。そういった水に恵まれた地域に美味しい米どころが多く存在しています。
米どころ新潟県魚沼地方の中でも特に美味しいとされる南魚沼地域は、西を1000メートル級の魚沼丘陵、東を2000メートル級の越後山脈と、山に囲まれた盆地地形である事から、昼と夜の気温差が非常に大きく、美味しいお米に育つための条件の整った地形です。
南魚沼の土壌は市内を流れる魚野川や登川などの河川によって運搬された比較的新しい土で形成されていて、他の地域の水田に比べ稲に必要な窒素供給力が小さく、やや痩せた土地です。一般的に栄養素豊富な土壌が良いと思われがちですが、稲が大きく育ち、倒れやすいコシヒカリにとって、痩せた土地は生育過剰を抑制してくれる良さがあります。
また、南魚沼は日本有数の豪雪地帯であり、八海山や巻機山をはじめとした周囲の山々の雪解け水が豊富です。加えて、市内には八海醸造、青木酒造、高千代酒造と3つの酒蔵があります。米作り同様に酒造りにも水が重要とされ、それぞれが世界的に高評価されている事からも南魚沼の雪解け水が上質であることが分かります。その水が田んぼを潤し、美味しいお米に育つ栄養を与えているのです。
そして南魚沼の中でも、特に美味しいお米が作られると伝えられているのが、旧塩沢地区です。旧塩沢産コシヒカリは日本で流通するお米の0.1%とも言われ、希少なお米です。南魚沼市を拠点とするソイルワークスでは、旧塩沢町の農家から直接お米を仕入れお届けしていきます。
お米の美味しさを決定付けるのは、自然環境だけでありません。条件の整った土地は全国にいくつもありますし、南魚沼より米作りに適した土地もあるかもしれません。その中でも「南魚沼のお米は美味しい」と言える大きな理由は生産者の米作りに対する想いと、受け継がれる米作りの伝統です。
昔の南魚沼は日本で最も貧しい農村地域の一つでした。田んぼには石がゴロゴロあり、痩せた田んぼが非常に多かったと言われています。冷たい雪解け水が流れる春先の田植えは大変な作業だったと語り継がれています。当時は、稲の品種もコシヒカリとは違うもので、収穫量が少なく味も悪い、“雀が跨いで通るほどまずいお米”と呼ばれていました。そんな貧しい南魚沼でしたが、苦しい環境から抜け出し「豊かになりたい」という強い想いで、旧塩沢町の若手農家と新潟県の農業試験場が手を取り合い、魚沼の風土に合ったお米の研究を続けた末に、「コシヒカリ」という品種を産み出したのです。その血が滲むような努力の積み重ねこそが、南魚沼産コシヒカリが日本一美味しいと呼ばれるまでに成長したきっかけです。
そういった米作りの歴史があるからこそ、この地の農家は米作りに情熱を持って日々の土づくりや栽培技術の向上に努めています。お米の美味しさは自然環境に左右されますが、結局は人の手で植えられ、人の手で収穫され、人の手で消費者まで届きます。「環境が人を育てる」とよく言いますが、南魚沼の風土が生産者達の誇りと情熱を育むことで、お米が美味しく育つという循環が生まれているのです。